大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)2032号 判決

原告

吉村悟

代理人

阿部昭吾

復代理人

河内禧寛

被告

国際自動車株式会社

代理人

田中治彦

環昌一

西迪雄

田中和彦

主文

一、被告は原出に対し金三二〇万円およびこれに対する昭和四四年三月一八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四、この判決は、主文第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告)

一、被告は原告に対し金七七一万七〇〇〇円およびこれに対する昭和四四年三月一八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

(被告)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

(原告)

一  事故

原告は次の交通事故により負傷した。

(一)日時       昭和四一年六月二三日午後一〇時一五分頃

(二)場所       東京都豊島区池袋東二丁目四三番地明治通り交差点

(三)加害車および運転者 営業用自動車(品川五う九五〇)

訴外 大谷勉

(四)被害車および運転者 自家用自動車(練馬五ね六一五)

原告

(五)事故態様      前記交差点で信号待ちのため停車中の被害車に加害車が追突

二  責任原因

被告は、自動車による旅客運送を業とし、自己のため加害車を運行の用に供していたものであるから、自賠法三条の運行供用者として原告の損害を賠償する責任がある。

三  損害

原告は本件事故により、次の損害を蒙つた。

(一) 休業損害 五〇一万七〇〇〇円

原告は、本件事故により頸椎軟部挫傷(所謂鞭打症)となり、大同病院において昭和四一年六月二四日から同年八月二六日まで約二カ月間入院、同日退院後、同年一〇月二五日まで最初の一カ月間はほぼ毎日、その後は隔日に同病院に通院したが、なお症状治癒せず、同年末まで前後三回温泉療養を行い、執務も一日四時間程度におさえるなどして静養した。その結果、入院期間中は一〇〇パーセント業務を行えず、通院期間中は五〇パーセント、静養期間中は二五パーセント業務を行えなかつたのであるから、昭和四一年度において実質的に3.5カ月間休業を余儀なくされたことになる。

ところで、原告は、肩書地において吉村特許事務所を経営する弁理士であるが、昭和四一年度の事業所得は一二一八万四〇〇〇円であり、この所得は右休業を余儀なくされた3.5カ月分を差引いた実質8.5カ月分の所得であるので、これで右所得を除すると一カ月当り一四三万三四一二円となり、右3.5カ月を稼働しえたものと仮定すると、前記所得額から見てその間五〇一万六九四二円の利益を得ることができたものであり、これが右休業により原告の蒙つた損害となる。

(二) 慰藉料 二〇〇万円

弁理士としての職業の性質上、その業務内容を濫りに他人にゆだねることは出来ないものであつて、原告の地位は代替性を有しないところ、弁理士事務所として業務発展の途上において受傷し、昭和四一年秋に予定されていた米国、ヨーロッパへ赴いての得意先の外国会社、提携先の弁理士事務所への訪問も挫折中止の已むなきに至り、かつ前記の入院により暑夏頸部を牽引、固定されたまま病床に臥し、その後の通院治療によつても全快せず、事故後二年半を経てもなお、知的労務に従事する原告にとつては耐えがたいほどの頭部・頸部・肩等の圧痛という後遺症に悩まされている。しかるに、被告側の過失が明白な本件事故について、入院中運転者が一回、事故係が一回見舞に来ただけで損害についても治療費と車輛修理費を支払つたにすぎず、全く誠意が見られない。

以上の諸事情を考慮すると慰藉料は二〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用 七〇万円

原告は、本件損害賠償請求事件の提起にあたり、手数料として三五万円、謝金として三五万円計七〇万円を支払う旨の約定のもとに、本件を原告訴訟代理人に委任した。

四、よつて原告は、被告に対し右合計七七一万七〇〇〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四三年三月一八日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告)

一、原告主張一、二記載の事実は認める。同三記載の事実中、入通院の期間は認めるが、その余の事実は不知。

二、原告経営の特許事務所は、十数名の所員を有する比較的個人的色彩のうすい事務所であつて、原告が休業したとしても、その受理、処理件数が急激に減少するとは考えられない。したがつて、逸失利益としては、最初の二カ月分については平均実収の五〇パーセント減、次の二カ月については三〇パーセント減、それに続く二カ月については五パーセント減、合計1.5カ月分を見れば足りる。そこで原告の所得申告額から所得税額二五六万五七八〇円を控除して、一カ月の平均収入を算出すると九一万六〇一二円となり、これに1.5カ月分を乗ずると、逸失利益額は一三七万四〇三二円となる。

第三 証拠〈略〉

理由

一、原告主張一、二の事実は当事者間に争いがない。

二、よつて、原告の損害について判断する。

(一)  〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨から、つぎの事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  原告は、本件交通事故による受傷のため、事故の翌日から大同病院に六四日間入院し、昭和四一年八月二六日退院後、同病院に同年一〇月二五日まで通院(実日数一一日)し、一応治癒状態に至つたが体調十分でなく、同年一二月末頃まで勤務時間を短縮し、あるいは温泉に行くなどして静養していたこと

(2)  右入院期間中長時間頸部を牽引固定し、頸部に注射し、あるいはトランコパール等を服用し、マッサージを行うなどし、その後通院期間中も注射、マッサージ、内服薬の服用等で治療を継続したが特に入院期間中は初夏から盛夏にかけての暑さのために病床に臥しているのが苦痛であつたこと

(3)  原告の職業は弁理士であり、その業務内容は秘密に亘り、かつ迅速処理を要する事柄が多く、濫りに他に委任し、あるいは出願を延期すること等が出来ず、又原告の特許事務所の所員独自の判断では原告に代つてこれをなしえぬ場合が多かつたこと

(イ) 吉村特許事務所は弁理士である原告の父が所長、原告が副所長、所員約一〇名の構成であつたが、原告は、父とは独立採算をとり、右所員約五名を専属スタッフとして事件の処理に当つており、昭和四一年度の処理状況を見るに、六月二六日の受傷から三〇日までを考慮外として、一月から六月までの月平均処理件数と事故による影響のあつたと認められる七月から一二月までの現実の処理件数とを比較すると、特許関係においては約三カ月分、実用新案については約二カ月分、意匠関係については約五カ月分、商標関係については約一カ月分、外国事件については約五カ月分それぞれ現実の処理件数が少くなつており、事件全体については一月から六月までの処理件数平均の約3.7カ月分が未処理状態になること

(5)  原告の特許事務所では、弁理士会令の定める特許事務標準額表に必ずしもとらわれず、同表の定める基準を最低額として、主に所要時間と起案枚数とに従つて独自の料金算出基準表を定め、それに従つて依頼者から報酬を得ていること、および原告の事務所においては常時処理能力を上回る依頼があり、いわゆる仕事がないといつた状況から処理件数が減少することはありえないこと

(6)  入院期間中においても、原告は所員に暫定的指示を与えることが出来、また商標関係に限つては七月の処理件数が一月から六月までの平均処理件数をはるかに上廻つていること

右各事実を綜合すると、必ずしも処理件数と報酬とは一致せず、また原告入院中も他の所員でまかないえた案件もあるが、全体的にみれば、かなり処理能力を喪失していたことが認められ、その喪失率は入院期間約二カ月は約八〇パーセント、通院期間中は約三〇パーセント、その後昭和四一年度末までは約一五パーセントと認められ、これを計算の便宜上休業期間に換算すると、原告は、少くとも、2.5カ月間全休したことになる。

(二)(1)  前掲各証拠から、原告は、昭和四一年度に三五五〇万六二六三円の収入があり、これから必要経費を控除した所得一二一八万四〇〇五円を得ていたこと、これに対する所得税額は二五六万五七八〇円であること、昭和四二年度に処理の遅れをほぼ挽回していること、これは原告が残業等を行つて処理したものであるが、前年度の受任による繰越分として、その受任自体による利益も極めて少ないが含まれており、残業自体による対価プラスアルファ的な部分もあること、昭和四二年度分の所得申告額は一八〇〇万円を越えることの各事実が認められる。

(2) ところで、当裁判所は、一般に休業損害額を算出するに際して基準とすべき年収額の算定については、それに所得税が賦課されることの明らかな額(現在、一世帯あたり年収一〇〇万円以下の場合には、各種基礎控除により、課税されることが明らかとは言えない)である場合には、相当所得税額を控除すべきものと考える。けだし、休業損害とは、事故による負傷者が事故に遭わなかつたと仮定した場合に享受しえたであろう財産的利益さらに厳密に言えば、それと事故による負傷休業にかかわらず何ほどか享受しえた財産的利益との差額を喪失したことを意味するのであるが、この仮定的利益を想定する場合、もし所得税額を控除しなくてよいとすれば、得られるべき賠償額は、事故に遭わなかつたとの仮定の下、想定される収入にもかかわらず所得税を納付しないでいた場合と同様の財産的利益を与えることになるのは見易いところである。しかし、現行法制の下では、個人が勤労あるいは事業の経営により収入を得た場合、税法上課税されるべき所得である以上は、税率に従い相応の所得税が賦課・徴収されるのであつて、国民にはこれに対応する義務があるのであるし、損害賠償制度の理念からしても、その場合填補されるべき損害すなわち事故に遭わなかつたと仮定した場合に享受しえた財産的利益なるものは、正当に享受しえたであろう範囲に限定されるべきものであるから、前記のような結論は正しくないと言わなければならない。

これに対して、所得税法では、現実に収入が存しまたは収入を得べき権利が確定して初めて所得ありとせられるのであるから、右のような仮定の下における収入に対しては所得税債権は現実に発生しておらず、したがつて控除すべきものではないとする見解がある。しかし、ここで行われるのは、賠償せられるべき損害額算出の過程において、ある仮定的条件の下で観念される収入が同じ条件において一定の出捐を随伴する場合、その条件が満されなかつたための収入喪失の損害は、その出捐がなされずに済んだことによる利得を随伴する、との認識からする利得の控除なのであつて、現実に成立した正負二個の金銭債権の相殺なのではない。したがつて、仮定的収入を論じる場合その収入を得るための経費を観念しえ、経費出捐自体仮定的なものに過ぎなくとも、収入喪失による損害額を云々するためにはその経費相当額を控除すべきであるのと同様、仮定的収入に伴い観念しうる所得税額をも控除すべきなのであつてその現実に債権として発生することを要求するには及ばないのである。

また、所得税法九条一項二一号が損害賠償金を非課税所得としていることを根拠として、非控除を主張する見解もある。しかし、同条項号にいわゆる損害賠償金とは、前示のような損害額算出の過程を経て――そしてさらに慰藉料等を積算して――最終的に決定される賠償額をいうのであり、換言すれば、同条項号は、損害賠償債権として現実化した税法上の所得についての規定なのであつて、算出過程における仮定的収入とは本来無関係なのであるし、その法意からしても、算出過程における仮定的出入を論ずるにつき非控除の結論に導くとは考えられない。けだし、損害賠償金非課税の規定の立法趣旨は、損害賠償が不法行為によつて生じた損害の填補、すなわち事故がなかつたとすれば存在したであろう本来の財産状態の回復というのに止まる結果、賠償金の取得は、税法上の所得ではあつても、財産を積極的に増加せしめるところの、課税を相当とする他の収益と実質上同視しえない面があるという点にあると見るべきであるが、この回復せらるべき財産の消極的状態は、結論としての損害賠償額いかんの問題であつて、算出過程に直接関係するところがないからである。換言すれば、右規定は、事故に遭わなかつたと仮定した場合の財産状態に復帰するため必要な額については非課税とする、というに止まるのであつて、その復帰のため必要な額を算出する過程において税額の控除を要する、という前段判示の理路を妨げる規定ではないのである。むしろ、算出過程において控除し、結論として得られた額を非課税とする、という両者が揃つてこそ、事故に遭わなかつたと仮定した場合の正当な財産状態への復帰が成就するのであつて、どちらが欠けても損害填補としては完全でないこととなろう。

以上は、損害算定時から見て過去に属する休業損害の算定に関するものであり、本件に関しては以上で足りるのであるが、なお、将来得べかりし利益を失つたことによるいわゆる逸失利益の賠償に関して付言する。一体、人身死傷事故においては、死傷という法益侵害そのものを総合的に観察して一個の損害賠償請求権を発生せしむべきであり、積極損害・消極損害・慰藉料等の費目は、それぞれ右の請求権を理由あらしめる事実であると見るべく、各個独立の請求権を発生せしめると見る必要はない。そして、消極損害のうち、(過去の)休業損害と(将来の)逸失利益とは、主張立証の難易こそ異なれ、いずれも稼働能力の喪失による損害の評価として同一の本質を有するものと理解すべきである。ただ、被害者の年齢・性別・職業や算定の対象たる期間の過去・将来の別ないし・将来にわたつてのその期間の長短等、諸種の要因のいかんによつて、その評価が例えば給料生活者の休業損害のように、給料額を基準として、事故に遭わなかつたとした場合に享受しえたであろう財産的利益を即自的に算定する形式で比較的正確に遂行される場合もあり、また例えば幼児死亡の事案における逸失利益のように、平均賃金と平均余命とに基づく推定という形式で大まかになされるに止まる場合もあるに過ぎない。

このように考える以上、逸失利益算定における所得税額控除に関しても、原則としては、上来説示にかかる休業損害算定の場合と同様に取り扱うべきこととなる。稼働能力の喪失の補償は、講学上いわゆる資本の填補に相当するものであるが、その評価算定の手段に稼働能力の顕現としての収入――具体的な年収・月収額としてにせよ、平均的給料額としてにせよ――が使用され、事故に遭わなかつたとした場合の仮定的収入額が論ぜられる以上、それに伴う出捐の一種として、相当所得税額が控除せられるべきことは当然で、この操作を経て後に得られる「正当に享受しうべかりし財産的利益の額」を以て喪失せられた当該稼働能力の評価額とすべきものなのである。原則は右のとおりであるが、幼児の逸失利益のように将来長期にわたる算定の場面では、事実上相当所得税額を捕捉し難いものがある一方、いわゆる生活費として、例えば収入額の五割などというように、必ずしも生計費支出の統計に拘泥せず、大幅に控除している例が少なくないのであつて、このような場合には、その五割の控除額は、所得税の控除をも含めた趣旨のものと理解すべきであろう。

(3)  右理由により、原告の年収額から所得税額を控除することとする。そうすると、残九六一万八二二五円となり、さらに入、通院期間の繰越分の一〜二パーセント程度の損害は後日の処理によつて填補されていると推認しうるのでこの分を斟酌すると休業損害算出の基準とすべき純収入額は九五〇万円と見るのが相当である。

ところで、これは前記2.5カ月分を控除した実質9.5カ月分に相当する純収入と認められるので、一カ月一〇〇万円の純収入があつたことになり結局本件事故によつて原告が蒙つた休業損害は二五〇万円となる。

(三) 前記認定の入、通院期間および原告本人尋問の結果から認められる外国へ行くことが中止となつたこと現在でも気候の悪い時には本件事故による後遺症的症状を多少憶えること等諸般の事情を考慮すると、慰藉料としては四〇万円が相当と認められる。

(四) 原告が本件事故による損害賠償の請求訴訟を原告代理人に委任したことは記録上明らかであり、原告本人尋問の結果から、原告が手数料および報酬として計七〇万円を同代理人に出捐することになつたことが認められるが、本件が追突事件であること訴訟の進行状況、証拠の蒐集等を考慮すると被告に請求しうる相当度果関係の損害としては前記認容額の二九〇万円のほぼ一割にあたる三〇万円が相当と認められる。

三よつて原告の請求のうち三二〇万円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四三年三月一八日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分はその理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるので棄却することとし、訴訟費用については民訴法八九条、九二条を、仮執処宣言については同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。(倉田卓次 小長光馨一 佐々木一彦)

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